戦争の頃の国語教師

父が長崎の尋常小学校にいた頃、〇〇〇ナンケンという国語教師が

福岡から赴任してきた。東洋大学出身だった。

休み時間で廊下にでていた子供たちが先生の姿を見つけると

「先生のこらした」「先生のこらっしゃった」と口々に言って席に着いた。

「こらした とはなんだ」と先生は激怒したそうだ。

 

「こらした」は佐世保の方言で「いらっしゃった」なのだが、

「きやがった」と捉えたらしい。

ナンケンと名乗るからには生まれは鹿児島か?あるいは前任地の福岡かもしれない。

しかし子供たちが明るく言い放った聴きなれない言葉とはいえ、

敬意を示したものであることは国語教師ならわかりそうなものだ。

 

また自身に子供が生まれた時には

生徒たちを前にして教室の檀上で喜色満面、

「今朝、玉のような赤ん坊が生まれた」と報告したと云う。

最近使いませんが、玉とは美しいもののたとえです。

この時も小学生の父は違和感を覚えたようだ。

たしかに、愚息が生まれたなどとは言わなくてよいが、

赤ん坊が生まれたで十分ではないかとは思う。

 

父と私にとっては、このエピソードは共鳴する感性のかけはしであり、

テレビの芸人の話にはにこりともしない父を笑わせ快活にさせる際には

この話に水を向けるだけでよい。生き生きと笑いながら話し始める。

若い頃から聴いていたこの話を父の最期までに何回話しただろう。

通算百回に迫るのではないか?

最後の方は私が話して、病床の父が「そうだ」「そうだ」と子供のような

笑顔で聴いていた。

 

無神経とも思える言動でさえ、

二世代にわたる大切な思い出となり、

過去を豊かにする時が来る。

こともある。

 

だから、ありがとうございます。

小さい父から見たあなたの若い日のお話に、

何度となくそして最後まで助けられました。